箱根駅伝『0区』担当

私は箱根駅伝の大ファンです。
毎年12日、箱根駅伝がスタートする前の67:00代に遊行寺~浜見山を走っています。  
通称『0区』。

実は今年で15回目を迎えます。
選手たちはもちろん私にとっても聖地であるこの区間の一部を、選手が走る前のキリッと浄化された冷気・鳥の声が聴こえてくる静寂の中、私の足音だけが響き渡ります。
この区間を選手より前に足を踏み入れ独走できる贅沢はたまりません。

また昨年12月には、『勝手に箱根駅伝:襷を繋いで走る』の全区間のうち3(21.4km)を任され、戸塚中継所に立ち平塚中継所を目指しました。

この経験を通して、初めて知ったことが『汗が染み込んだ襷の力』。
辛くなった時の活力剤・役割を果たしたいと言う使命感となってゴールまで導いてくれました。
なぜ、繰り上げスタートで1本の襷を繋げずあのように悔しがるのか
理由がわかりました。

箱根駅伝ともなると各校が長年の伝統を背負い、共に走ってきた仲間の思いが染み込んだ襷となります。目には映らない襷の重さは計り知れません。

実は、4年前に島田先生から『0区』と名付けられた時、私は0に対してマイナスのイメージしかなく、他の通称をお願いしたくらいでした。
すると島田先生が「0には、パイオニア・ニュートラル・東洋思想では中庸の意味がある。」と教えてくださいました。
確かに。その後、走るたびゼロが持つ可能性を感じるようになっていきました。今ではその可能性が無限に広がるまでになっています。

さらなる可能性を信じて来年16回目の『ゼロ区』を走るため、すでに準備を始めています。